2017年 11月 11日
熊野古道の旅 その3・大峯山、高野山 |
11/2 大峯山登山。
ふう、一年ぶりの山登りは堪えます・・・
すばらしい眺望。 伊勢、大台ケ原方面のながめ。
煩悩まみれの我が心も浄化されそうです(笑) 4時間で山頂へ。
熊野方面のながめ。 しばらく歩くと、、、 弥山(みせん)山頂。 3時間で下山し、車1台やっと通れる狭い国道を延々と走り、天川村の民宿へ。 翌朝11/3。 宿のおばちゃんに別れを告げ、また山道を延々と走って高野山へ。 入り口から本堂までの間2~3kmの間は著名人のお墓が延々続く。
初代市川団十郎。 豊臣秀吉。 織田信長。 赤穂浪士・浅野内匠頭も。 徳川家康のは無かったが、何代かの将軍のはあった。
こんなに大勢の人がお参りする空海って人はすごかったんですねえ。
高野山を下りる道は上から下まで大渋滞。
といっても大峯山という山は無い。
昔の修験者たちが山中に籠って修行したこの山域をひっくるめて大峯山と呼んだ。
そして峰々を結んで吉野や高野山から熊野へ至る行者道は奥駆道と呼ばれた。
大峯山地の最高峰は八経ヶ岳1914mで、近畿地方の最高峰でもある。
こちらも日本百名山の一つになっている。
今回は登山口から稜線まで上がり、奥駆道の一部を歩いて山頂に至るルート。
登山口より下の標高が紅葉の見頃だった。
尾根へ上がるとそこは修験者の歩く古道。
イメージでは岩ゴツゴツで恐ろしい修行向きの道かと思っていたが、静かで穏やかなトレッキングルートだった。
もちろん、一部にはこの地を開山した役小角が何度も引き返した山とか、ナントカ覗きっていう度胸試しみたいな修行をやっているガケなんかもあるそうだ。
お経を書いた札が沢山奉納されていた。
高野山方面のながめ。
こちらは神社の奥ノ院がある。
本宮は今夜泊まる天川村にある天川大弁財天神社。
なんか自分のいなかへ帰ってきたみたいでほっとするなあ。
煮物や里芋の茎といった田舎料理が美味しい♪
こういうのが一番うれしいなあ。
歩いて近所の天川大弁財天へ。
こちらは芸能の神様ということで有名らしく、芸能人含め全国からリピーターが大勢参拝に来るそうだ(我々は知らなかったが)
ググってみたら、長淵剛が結婚式を挙げたとか(笑)
本日祝日で紅葉も見頃。大混雑確実なので、弘法大師の廟がある奥ノ院へ直行。
裏側から登るルートだったので道は空いていた。
高野山と言っても広い。一つの町が山の上にある感じである。
見ているうちに有名人の墓を見つけるコツが分かった。
音声ガイドの案内板が立っているのを目安にするといいです。
それから有名な戦国武将なんかは神格化されて、お墓なのに鳥居が建っている。
ここでも仏教と神道は共存しているようだ。
天皇の墓もあるし。
日本人はどの宗教の信者なのかと聞かれると答えに窮する人がほとんどだろう。
でもそこがいいのではないか?
あいまいで、柔軟で、シロかクロかみたいな二者択一じゃなくて、いろんな考えを受け入れられる、、、そんな日本の文化は世界に誇っていいと思う。
オウムみたいなのは別として、普通の日本人は宗教テロなんか起こさないだろう。
世界中のいろんな価値観の人間が仲良くやっていくには日本的ないいかげんさは大切だ。
途中にナントカの井戸というのがあって、覗き込んで自分の姿が映らなかったら3年以内に死ぬという、オソロシイモノ。
怖いもの見たさで覗いたら・・・ 映った。内心ほっとしたあ。
有名人の墓、一部抜粋。
伊達正宗。
武田信玄。
高野山を攻め仏教を弾圧した人も、死ねば仏となって大師様のそばに眠る。
奥ノ院とは別に、高野山の中に徳川家墓所というのがあるので、家康はそこかもしれない。
大企業の社長の墓もたくさん。
そういうのはたいてい会社のシンボルマークの石像が建っているので面白い。
ぴょん吉さんが気になるであろう、上杉謙信の墓は、、、
奥まった所にあったのでうっかり見落としちゃった瞬間!!
(^^;)ゞ
この橋から先は聖域なので撮影禁止とのこと。
川ではサカナ(たぶんハヤ)が安心してライズしてました(^^)
紅葉がきれいだ。
この人たち、今日中にたどりつけるんだろかと思った。
関東ならいろは坂の渋滞みたいなもんか?
九度山の真田庵へ寄り道。
関ヶ原の後、真田昌幸と幸村が高野山に隠遁し、ここにしばらく暮らした。
昌幸の墓もある。(草刈正雄が演じた人ね)
去年は大河ドラマの影響で相当な人が訪れただろうなあ。
お土産は名産の柿に柿の葉寿司などなど。
帰りは渋滞もあって帰宅は午前様でした。
翌日は筋肉痛。よく歩いた!
ぽちっとしてね(^^)
↓
by troutriver
| 2017-11-11 15:41
| 山